サッカーと旧久喜市域
当市には関越自動車道東松山ICがあり、また四方八方に向かう幹線道路が集まる各地にアクセスしやすい立地であるため、大手運輸会社を中心に物流センターが数多く設置されている。当市は、古くから商業地として栄えた土地で、スーパーマーケット「マミーマート」は当地で創業した八百清が発祥、また比企郡小川町で発祥した「ファッションセンターしまむら」のチェーン1号店や、「日本マクドナルド」の社員フランチャイズ1号店が当市にあったなど、当市から成長した企業も多く、周辺市町村からの買い物流入による東松山商圏を形成しているが、川越商圏の拡大や、近年の周辺市町村への郊外型大型店の出店による求心力低下などから買い物流入は低下傾向にある。また、2010年3月には当市南部に大規模な郊外型ショッピングモール「ピオニウォーク東松山」がオープンした。かつて市内には「松山映画劇場」と「松山銀映劇場」の2つの映画館があったが、銀映は1970年代には閉館した。一方の松映は1990年頃建て替えられ「東松山シアターマリオン」と改称され、東武東上線沿線では池袋・川越と並んで従来型映画館が残る街であったが、シネコンブームの波に押され2004年頃に閉館してしまったため現在、市内に映画館はない。
埼玉県の東部に位置し、国道4号・新4号国道と国道16号、東武伊勢崎線と東武野田線が交差する交通の要衝である。牛島の藤の所在地であり、日本有数の「藤の街」として有名である。特産品に桐箪笥、桐箱、麦藁帽子、押絵羽子板、大凧がある。尚、国道16号沿道には首都圏外郭放水路と呼ばれる大規模な放水路が建設されており、一般にも公開されている。高度経済成長以来、東京のベッドタウンとして人口増加の一途を辿ってきたが、ここにきて転出超過数が自然増加数でまかないきれなくなり、人口減少期に突入した。隣接する千葉県野田市などとともに、「都心回帰の好例」として不動産系シンクタンクが取り上げることがある。2008年4月1日より、特例市に移行した。市域のほとんどは中川低地と呼ばれる低地に位置し平坦である。北東端の宝珠花、東部の南桜井駅付近などに、江戸川によって下総台地から切り離された台地、北西部の内牧や花積に大宮台地が分布する。下総台地と大宮台地という2つの台地が同一自治体内に存在する唯一の例である。台地部分には遺跡が多く所在し、代表的な遺跡として内牧地区には内牧塚内古墳群、粕壁地区には浜川戸遺跡、豊春地区には花積貝塚、宝珠花台地には神明貝塚、金杉台地には米島貝塚などが所在する。特に縄文時代の遺跡は貝塚が多く、縄文海進を検証する好地域である。また倉常地区は、中川低地内に位置するが、近年、須釜遺跡という弥生時代の遺跡が発見され、弥生時代ごろから人々が生活できる地域であったことが立証されている。また、大落古利根川沿いの小渕砂丘は、埼玉県の以前の利根川流路沿いに多く存在する河畔砂丘の代表的な物である。市内では、小渕砂丘のほかに浜川戸、藤塚で砂丘が確認されている。地理的に旧春日部市東部地区、旧庄和町地区は田園地帯とりわけ低地と河川が多くあり埼玉県東部地区で一大の米穀の生産地である。
所沢の近辺には、約2万年前から人類が定住しており、砂川遺跡を筆頭に市内には旧石器時代以降の遺跡や貝塚が点在している。東日本各地に多く見られることだが、当地にも日本武尊の東征伝説がある。戦勝を祈願したといわれる神社や、あるいは篭手をかざしたと言った伝承がある。7世紀に律令制度のもと、武蔵国国府が現在の東京都府中市に設置されると、武蔵国国府と上野国国府を結ぶ官道が築かれた。これが東山道武蔵路であり、市内の南陵中学校でも遺構が確認されている。また、かつての郡境にあたる現在の松が丘付近には悲田処が設置されたという伝承がある。
2010年2月11日、新たに北上尾駅東口〜伊奈学園の路線が開通した。これにより、伊奈中央駅を除く町内のニューシャトル各駅から直接JR東日本高崎線の駅とのアクセスが可能になった。※「伊奈総合高校」と「伊奈学園」は同じ学校であり、路線により行先表示が異なる。タクシーの営業区域は県南中央交通圏で、川口市・さいたま市・鴻巣市・上尾市・戸田市などと同じエリアとなっている。