住所表記とさいたま市域に存在した市町村の項目

1995年に当時の浦和市にその座を譲るまで、埼玉県内で最多の人口を擁していた。また2006年10月26日には、住民基本台帳と外国人登録に基づく登録人口が、2009年5月には推計人口がそれぞれ50万人を突破した。埼玉県の「中央地域」と呼ばれる県南東部JR京浜東北線・高崎線沿線地域のうち、南端に位置する市の1つ。北をさいたま市、西を蕨市と戸田市、東を越谷市と草加市、南東を東京都足立区にそれぞれ接し、南西は荒川を隔てて東京都北区と接する。そして鳩ヶ谷市をほぼ取り囲んでいることから、川口市域は馬蹄形の形状になっている。



中央線上りホームの反対側1番線から八王子駅を発車すると、右手に横浜線が分岐し京王線を跨ぐ。左へカーブし中央本線から分かれ、浅川を渡り、国道16号を跨いで勾配を上っていく。国道20号を潜って巨大な倉庫や工場の林立する北八王子駅に到着する。北八王子を発車すると勾配を下り、中央自動車道を潜ると間もなく小宮駅に到着。小宮を出ると勾配を下りながら1945年に八高線列車正面衝突事故のあった多摩川橋梁にかかる。多摩川両岸に向き合う東京都下水道局の二つの下水処理場を右手に見ながら鉄橋を渡ってしばらく直線に進むと青梅線を跨ぎ、青梅電留線、米軍横田基地線、保線基地などを大きく抱き込む形で左にカーブし、右手から西武拝島線が寄り添ってきて拝島駅に到着する。拝島駅を出るとすぐ国道16号の武蔵野橋を、五日市線、青梅線とともにくぐり、両線を左に分けながら住宅街の間のゆるい勾配を直線で上り、東福生駅に到着。東福生と箱根ヶ崎の間の路線は横田基地拡張にともない付け替えられたが、基地を完全に迂回したわけではなく、駅を出るとしばらく基地内の住宅やスーパーマーケットの間を走る。基地内を出て右に並行していた国道16号が、瑞穂バイパスとなり下をくぐって左に分かれていくと、コンクリート壁の間を抜ける。この部分は滑走路からすぐの延長線上にあり、非電化時代はトンネルとなっていた部分である。これは昔、飛行機からの部品落下等が時おりあったためだが、飛行機の安全性向上もあり、電化の際に架線を張る邪魔になるため上部が取り壊された。新青梅街道を跨いですぐに、箱根ヶ崎駅に到着。箱根ヶ崎は拝島方からの折り返し電車もある。以前は待避線もあったが撤去された。駅を出るとゆるい登り勾配で瑞穂バイパスの下をくぐるが、八王子から当線の左右を並行して走ってきた国道16号と一旦別れ、川越までは国道16号と、当線・川越線は全く別ルートを走る。埼玉県に入り、狭山茶の茶畑の中を走り八高線最高地点を通過、途中、掘割の圏央道を跨いで、金子駅に到着。金子からは加治丘陵を20‰の急勾配で駆け下りたかと思うと急に視野が開け、高い築堤と橋梁で入間川を渡る。この下り坂を金子坂という者もいるようだが、地元では仏子から新久への丘陵を越える道路のことをいう。複線の西武池袋線の上を越えて住宅街の中を走ると、飯能駅でスイッチバックし、単線になった同線が急カーブで寄り添ってきて東飯能駅に着く。同線がすぐまた左急カーブで離れると、鹿山峠の急勾配を駆け上がる。峠を越え20‰の急勾配を駆け下りる。林地を抜け、左急カーブのすぐ右手に本線の変電所が見えるが、ここが1947年の八高線列車脱線転覆事故の現場であり、すぐに川越線との分岐点である、高麗川駅に到着となる。



新宿・池袋副都心から延びる鉄道路線の多くが川越へ通じており、都心部で川越の文字を目にすることが多い。複数の路線で新宿・渋谷・池袋に乗り換えなしで行く事が可能である。 新宿からは?西武新宿線の本川越行き、?埼京線の川越行き、?東京メトロ副都心線の川越市行き、の3ルートがある。また池袋からは?埼京線、?東武東上線、?東京メトロ有楽町線、の3ルート。渋谷からは?埼京線、?東京メトロ副都心線がある。新木場へも?東京臨海高速鉄道りんかい線、?東京メトロ有楽町線の2ルートで乗り換えなしで行ける。武蔵野台地の北東端に位置する。武蔵野台地は柳瀬川以北を川越台地と呼ぶことがあり、南に狭山丘陵が接する。ちょうど川越城が築城されたあたりが台地の北限で、川越城は地形を利用した平山城であった。川越台地を取り囲むように三方が低地で入間川や新河岸川、越辺川、不老川、小畔川など荒川水系の多くの河川が町を囲むように主に北西方向から南東に流れる。従って町は台地上に形成され、南側の台地に拡大する余地が残っており歴史的にも南へ街が広がってきた。荒川は江戸時代初期の瀬替えにより流れを大きく変え、川越で入間川と合流し、日本でも最大規模の河川敷を形成する。このため川向こうの大宮などとは歴史的にも結び付きがあまり無い。川越街道は入間川や荒川を渡ることなく江戸へ通じるように敷かれた。新河岸川は江戸へ向って傾斜し隅田川に合流するので、舟運が盛んであった。大正時代に新河岸川は赤間川と合流され、さらに川越市街を取り巻く形となった。こうした河川が市内北部や東部に広大な氾濫低地を作り出し水田地帯となっている。市内東部には埼玉県内最大の自然沼である伊佐沼もある。こうした低地は、地下水位が高く軟弱な粘土やシルトが厚く分布している。一方、南部や西部の入間台地は薄い関東ローム層の下に硬質層があり、武蔵野の雑木林の面影を色濃く残し、畑作地帯となっている。こうした対照的な地形から、どこから川越市内に入るかによって市のイメージも変わることとなる。直接の由来は鎌倉時代に河越館を構えた豪族河越氏であるが、その由来は古来より諸説ある。 市街地を川が囲む形となっており、入間川を越えないとたどり着けない地であることから「河越」と称されたという説や、養寿院にある銅鐘に「武蔵国河肥庄」という銘があり吾妻鏡にも「河肥」の文字があることから入間川の氾濫によって肥沃な地であるからという説、などである。



東松山駅前は商業都市、高坂駅前は学生街となっており、2つの駅で性格が異なる。市内の路線バス網は東松山駅・高坂駅を中心に発着する川越観光バスを中心に、南西方向に東武バス、北部方向に国際十王バスが運行されている。その他、市内の交通空白地域を中心に市内循環バスが運行されている。タクシーの営業区域は県南西部交通圏で、川越市・所沢市・飯能市・和光市などと同じエリアとなっている。



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